2015/11/19
11月18日
朝9時半に日本医科大病院。
この日は辛い一日でした。
秋に妊娠がわかってとても喜んでいたんです。
それも双子。
一卵性の双子が授かったというので、もし子どもができても一人しか無理だろうと思っていたから、二重の喜び。
でも、9週目で心拍が止まってしまいました。
母子手帳ももらったのに、両親の名前を記入しただけ。
稽留流産。
高齢出産になるから、いろいろ調べていたんですね。
だからこういうことが起こることも頭の中では分かっていた。
でも、あと少しで12週。
12週目を迎えれば4ヶ月目。
そろそろ安定期というときに、いなくなってしまいました。
でもね。
妊娠すらできないと思っていたから、おなかの中に来てくれたことだけでもうれしかった。
ほんの短い間だったけど、幸せな気分にさせてくれたのもうれしかった。
未来がとっても明るく思えたのもうれしかった。
だから、ありがとうという言葉しか出てこないんだよね。
名古屋から母が心配して来てくれたのも、申し訳ない思い半分ちょっと力強かった。
脚が悪くて、歩くのも大変な状態なのに、名古屋から来てくれたんだもんね。
手術は無理をお願いしてぽち君に仕事休んでもらって付き添ってもらうことは決まっていたけど、それでも母の顔を見るとなんだかほっとするよね。
当日は朝から絶食。
病院へついて、入院付き添いの手続きをして、自分の入院手続きをして、そこで部屋が決まる。
もう一度エコーで診てもらって、やっぱり心拍が止まっていることを確認。
写真をくれるって言ったけど、結局くれなかった。
この病院の医師は、最初の診察で、まだお腹の中に生きていたときも写真を撮り忘れて、コピーしかもらうことができなかった。
最後の写真はほしかったなぁ。
くっきり、頭も手も足も見えていたから。
でも仕方ないね。
こちらには初めての一度きりの事柄だけど、向こうにとってはいくつもある症例の中の一つ。
それから子宮口を広げる措置をして、広がりきるまで約3時間。
初めての点滴が、針が入っているせいか痛い。
おなかも痛い。
ベッドの上に布団かけて寝て、両親はデイルームに行って、ぽち君とぽつぽつお話ししながら待ってた。
13時になっていよいよ手術の時間がやってくる。
点滴と同じ部分から麻酔も入れるんだって。
麻酔が効きにくい体質であっても、効かないことはないと聞いてちょっとほっとしながら麻酔が回っていく。
ちょっとぼんやりしてきたと思ったらもう意識はなく、次に目が覚めたのはストレッチャーに移されるとき。
名前を呼ばれて「ストレッチャーに移れますか」との呼び掛けに体を動かして、本当に意識がないうちに終わっちゃうんだとぼーっと重いながらベッドへ運ばれていく。
お昼を食べに行っていたぽち君と両親がそのあとすぐに来て、付き添ってくれたよ。
もちろん父はたばこを吸いにすぐにどこかへ行ってしまうけど。
何度か血圧を測って、体温を測って、点滴が終了するころに退院できるか再び診察。
母が話を一緒に聞きたいと看護師さんに告げていたので、本当は診察が終わってすぐに会計だったのが、母とぽち君に説明するために措置をした医師が残ってくれたよ。
無事に手術は終わって、次回の診察で病理検査をした結果と子宮の状態を確認しますとのこと。
あっけないものだね。
会計に行ったのは16時半ごろ。
16時40分で会計が終了してしまうから、ぎりぎり間に合ってよかった。
外は雨がしとしと降り続けていたよ。
この時期、もう外は真っ暗。
雨が降っているせいか、診療時間が終わっているせいか、タクシーがいない。
呼び出しできる電話でタクシーを呼んで、わたしたち二人を家近くの駅におろして、母と父は名古屋へ。
長い一日。
夜はしばらく食べられなかった魚を食べてきたよ。
ちょっとだけ気晴らし。
今日もまだお腹が少し痛い。
元気にならないとね。
双子ちゃんは二人で行ったから、さびしくないもんね。
みんなありがとう。
今日からまた日々が流れていきます。
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